京都観光・京都旅行のおすすめイベント、【安土桃山時代の京を歩く】

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安土桃山時代の京を歩く

神護寺

安土桃山時代の始期と終期の定義は諸説あるなか、織田信長と豊臣秀吉が全国を掌握した時期が安土桃山時代とされているのが一般的でしょう。具体的には、永禄11年(1568)に織田信長が足利義昭に仕えて京都に入り、慶長8年(1603)に徳川家康が征夷大将軍に任命されるまでの期間です。 この期間のなかでも、天正14年(1586)に豊臣秀吉が太政大臣に任ぜられてから、慶長8年に徳川家康が征夷大将軍に任命されるまでの期間を桃山時代と呼びます。

本能寺の変

永禄11年に織田信長が足利義昭に仕えて京都に入り、信長による政権が始まりました。そして元亀4年(1573)に信長が足利義昭を京から追放し、織田政権が確立します。しかし天正10年(1582)、信長は本能寺に宿泊中に家臣の明智光秀に攻められ自害しました。この本能寺の変の舞台となった「本能寺」をご紹介しましょう。

本能寺について

「本能寺」は幾度の移転を繰り返し、現在の地(寺町御池)に移りました。「本能寺」は天明8年(1788)に起きた「天明の大火」により焼失し、天保11年(1840)に日恩上人が再建しました。ところが幕末の元治元年(1864)に起きた「蛤御門の変」で再び全焼失。現在の本堂は、昭和3年(1928)に再建されたものです。

本能寺

【本能寺】 住所:京都市中京区寺町通御池下る下本能寺前町522 TEL:075-231-5335
本能寺の詳細はこちらから

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豊臣秀吉による全国統一

本能寺の変の知らせを聞いた豊臣秀吉はいち早く京に駆けつけ、山崎の合戦で首謀者の明智光秀を破ります。そして翌年には柴田勝家を倒し、信長の後継者としての地位を固めました。秀吉は武家としては初めての関白に就任(天正14年[1586])し、天下統一へと突き進みます。 関白に就任する前の大正11年(1583)には大阪城の築城も開始。京都を自らの政権の首都として都市改造を行い、大正15年(1587)には京都に※「聚楽第(じゅらくだい/じゅらくてい)」を築きました。

※「聚楽第」とは、秀吉が京都に造営した政庁兼邸宅です。のちに秀吉は、甥の秀次に関白職とともに「聚楽第」を譲り渡します。しかし秀吉が秀次を自害させたのち、「聚楽第」も破却させました。よって「聚楽第」は現存せず、史料も少ないことからその詳細はわかっていません。「聚楽第」が取り壊される前は、京都御苑から西、二条城から北へ1キロほどに位置していたとされています。

茶の湯の文化が花開いた桃山時代

秀吉による天下統一によって国内に平和がもたらされ、いわゆる〝桃山文化〟が花開きます。都市部では豪商が出現し、その富を背景とした豪華な文化が栄えました。秀吉自身も茶の湯の文化に親しみ、唐物の名物茶道具が珍重されます。さらにフランシスコ・ザビエルが来日し、南蛮文化がもたらされたのもこの時代です(来日は天文18年[1549])。こうした時代を背景に慶長3年(1598)、秀吉は「醍醐寺」で贅を尽くした花見の宴(醍醐の花見)を開きました。

醍醐寺について

「醍醐寺」は伏見区醍醐にある真言宗醍醐派総本山の寺院で、世界文化遺産に登録されています。「醍醐寺」は空海の孫弟子・理源大師聖宝が醍醐山上に草庵を営んだのが始まりとされ、現存する堂宇(どうう)のほとんどは桃山時代以降のものです。五重塔(国宝)は天暦6年(952)の建立で、京都府内最古の木造建築物とされています。秀吉による「醍醐の花見」が開かれた地として知られ、境内は日本さくら名所100選に選定されています。

醍醐寺

【醍醐寺】 住所:京都市伏見区醍醐東大路町 TEL:075-571-0002

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豊臣秀吉による全国統一

慶長3年(1598)に秀吉が死去すると、徳川家康が政権の実権を握り始めます。そして慶長5年(1600)に勃発した関が原の戦いで家康が石田三成を中心とする反家康勢力を倒し、慶長8年(1603)に征夷大将軍に命じられて江戸幕府を開きます。これにより京都は政治の中心地ではなくなりましたが、この時代にゆかりのある寺社仏閣が残されています。ここでは「豊国神社」「高台寺」「方広寺」をご紹介しましょう。

茶の湯の文化が花開いた桃山時代

秀吉ゆかりの神社でまず挙げられるのが「豊国神社」です。「豊国神社」は秀吉を祀る神社で、慶長4年(1599)に創建されました。慶長9年(1604)の豊国夏の陣で徳川家康によって取り壊され、現在の建物は秀吉の徳を称えて明治元年(1868)に明治政府によって再建されたものです。

豊国神社

【豊国神社】 住所:京都市東山区大和大路通正面茶屋町530 TEL:075-561-3802
豊国神社の詳細はこちらから

高台寺について

「高台寺」は、豊臣秀吉の正室である北政所(ねね)が秀吉の冥福を祈るために慶長11年(1606)に開創したお寺です。現在、旧持仏堂の開山堂、霊屋、傘亭、時雨亭、表門、観月台などが国の重要文化財に指定されています。秀吉と北政所は「霊屋(おたまや)」に祀られ、北政所像の下はその墓所となっています。

高台寺について

【高台寺】 住所:京都市東山区高台寺下河原町526番地 TEL:075-561-9966
高台寺の詳細はこちらから

方広寺について

「方広寺」は天正14年(1586)に秀吉が建立したお寺です。かつては大仏殿と呼ばれ、大仏が安置してありました。秀吉の死後に放火により炎上したあと、豊臣秀頼が再興しました。その際、秀頼がこの寺に寄進した鐘に「国家安康・君臣豊楽」と刻まれていたことが徳川家康の怒りを買い、「呪いの言葉である!」として家康は豊臣家に攻撃を仕掛けたといわれています。

高台寺について

【方広寺】 住所:京都市東山区大和大路通七条上る茶屋町527-2 TEL:075-531-4928

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